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日本のカニ食文化の歴史|いつから食べている?ズワイガニの記録と広がり

日本人はいつからカニを食べてきたのか。ズワイガニが記録に登場する時期、「ずわい」の語源、江戸時代の料理書、明治から続く越前ガニの皇室献上、北洋のカニ缶詰、冷凍流通とお取り寄せの普及まで、カニ食文化の広がりをたどります。

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近江町市場に並ぶカニ
写真:KimonBerlin / CC BY-SA 2.0 · 縮小・WebP変換

カニは昔から身近な食べ物だった

日本では、カニは古くから身近な食べ物でした。海辺では磯や浅い海のカニ、川の近くではモクズガニのような川ガニが、地域ごとに食べられてきたと考えられています。今でも各地に、カニを使った郷土料理が伝わっています。

ただし、昔の記録に「蟹」と書かれていても、それが今私たちが冬に食べるズワイガニやタラバガニと同じとは限りません。海のカニか川のカニか、どの地域のどんな種類かは、記録ごとに確かめる必要があります。この記事では、公的な資料などで確認できる範囲で、日本のカニ食文化の広がりをたどります。

ズワイガニが記録に登場するのはいつ?

冬の味覚の代表であるズワイガニが、いつごろから食べられていたのかについて、福井県越前町の越前町織田文化歴史館が資料をまとめています。

それによると、ズワイガニが記録の上で確実に登場するのは安土桃山時代(16世紀後半〜17世紀初め)で、深い海のカニを獲るための底引き漁が発達した16世紀以降に獲られるようになったとみられています。おそらく室町時代ごろから獲られるようになり、江戸時代の初めには漁村で食用とされていたと考えられています。

鳥取県は、「松葉がに」の名前が登場する古い文献として、弘化2年(1845年)に書かれた鳥取藩の「町目付日記」を紹介しています。祝宴の献立に「松葉がに」が含まれていたそうです。その後、さらに古い天明2年(1782年)の鳥取藩の公文書の控えにも記載が見つかったとされています。江戸時代には、各地でズワイガニが知られ、食べられていたことがうかがえます。

時代 できごと(公的資料などで確認できるもの)
安土桃山時代 ズワイガニが記録に確実に登場(越前町の資料)
江戸時代初め 漁村で食用とされていたと考えられる(越前町の資料)
1643年 日本で最初に出版された料理書とされる『料理物語』が刊行
1782年 鳥取藩の公文書の控えに松葉がにの記載(鳥取県の資料)
1845年 鳥取藩の「町目付日記」の献立に松葉がにが登場(鳥取県の資料)
1909年 越前ガニの皇室への献上が始まったとみられる(越前町の資料)
1929年 小林多喜二の小説『蟹工船』が発表される

「ずわい」という名前の由来

「ズワイガニ」の「ずわい」という言葉には、いくつかの説があります。越前町の資料では、ズワイガニは漢字で「楚蟹」と書き、細くまっすぐな若い枝を意味する「すわえ(楚)」が「ずわい」になった可能性が高いと紹介しています。細長い脚が、木の細い枝に見えたことから名付けられたという考え方です。

「松葉がに」の名前の由来にも、脚の身を水に入れると松の葉のように広がるから、浜の松葉で焼いて食べたから、などいくつかの説がありますが、はっきりしたことは分かっていません。

江戸時代の料理書とカニ

江戸時代は、料理書が出版されるようになった時代です。寛永20年(1643年)に刊行された『料理物語』は、日本で最初に出版された料理書とされ、素材ごとの調理例をまとめた画期的な本として知られています。汁物だけでも数多くの種類が紹介されていて、魚介を使った料理も多く取り上げられています。

江戸の町では、近くの海や川で獲れるカニが食べられていたと考えられます。一方で、冬の日本海のズワイガニは、傷みやすく運ぶのが難しかったため、遠くの町で気軽に食べられるものではなかったでしょう。産地の近くで茹でたり、汁物にしたりして食べるのが中心だったと考えられます。

明治から続く越前ガニの皇室献上

越前ガニの特別な位置づけを語るうえで欠かせないのが、皇室への献上です。越前町の資料によると、献上の最初は明治42年(1909年)とみられ、当時の福井県知事が丹生郡四箇浦(現在の越前町)から取り寄せたカニを東宮御所に献上したとされています。大正11年(1922年)からは毎シーズン献上が続けられていると紹介されています。

長く続く献上の歴史は、越前ガニが冬の名物として全国に知られるきっかけの一つになりました。福井のカニ文化については越前ガニはなぜ有名?で詳しく紹介しています。

北洋のカニと缶詰

明治から昭和にかけて、北海道から千島列島、カムチャツカ半島方面の北の海では、タラバガニなどのカニ漁が盛んになり、缶詰への加工も広がりました。昭和の初めごろには、北洋でカニを獲り、船の上で缶詰に加工する「蟹工船」が操業していました。小林多喜二の小説『蟹工船』(1929年)は、その過酷な労働を描いた作品として知られています。

カニの缶詰は、遠くの地域にもカニを届ける手段として、日本のカニ食の広がりに関わってきました。北海道のカニの今については北海道のカニの種類と旬で紹介しています。

冷凍と宅配がカニを全国へ

昭和後半から平成にかけて、冷凍技術や、冷蔵・冷凍のまま荷物を届ける宅配便が広まり、産地で茹でたカニを冷凍して全国の家庭に届けられるようになりました。茹でたカニの表面に氷の膜(グレーズ)をまとわせて乾燥を防ぐ加工も、広く行われています。

こうした流通の変化によって、以前は産地に行かなければ食べにくかったカニが、年末年始のごちそうや贈り物として、全国の家庭で楽しまれるようになりました。今では、通販で生のカニのポーションを取り寄せて、家でカニしゃぶを楽しむこともできます。

一方で、冷凍品は解凍の仕方で味や食感が大きく変わります。取り寄せたカニをおいしく食べるためのコツは冷凍カニの解凍方法で紹介しています。

各地に残るカニの郷土料理

日本各地には、その土地のカニを使った郷土料理が伝わっています。

  • 鉄砲汁(北海道・根室):花咲ガニをぶつ切りにして煮る味噌汁。農林水産省の「うちの郷土料理」で紹介されています。
  • かに汁(鳥取県など山陰):親がに(メスのズワイガニ)などを使った汁物。鳥取県は、親がにはかに汁によく使われると紹介しています。
  • かに面(石川県・金沢):香箱ガニの身や卵を甲羅に詰めた料理。おでん種としても知られています。
  • かに巻き汁(宮崎県・北郷町):川で秋から冬にかけて獲れる「山太郎ガニ」(正式名はモクズガニ)を殻ごと砕いてつぶし、水と味噌を加えてこしてから弱火で温める汁物です。農林水産省の「うちの郷土料理」によると、加熱するとおぼろ豆腐のように固まり、味噌がカニのうまみを包み込むことから名前が付いたといわれ、旬の9〜10月ごろに食べられています。川のカニは必ず十分に加熱します。

どの料理も、その土地で獲れるカニを無駄なく使う工夫から生まれたものです。かに巻き汁のように、殻ごとすりつぶして汁にする料理は、小さな川のカニのうまみを余さず味わうための知恵と言えるでしょう。旅先で郷土料理に出会ったら、そのカニがどこで獲れたものかにも注目してみると、地域の食文化がより身近に感じられます。

観光とカニ料理の広がり

産地の温泉地や港町では、冬のカニ料理が旅行の大きな目的になっています。福井県の越前海岸、石川県の加賀温泉郷、京都府の丹後、兵庫県の城崎温泉や香住、鳥取県など、日本海側の各地で、カニを中心にした料理を出す宿や飲食店が増えていきました。

都市の中でも、カニ料理の専門店が生まれ、産地に行かなくても本格的なカニ料理を楽しめるようになりました。産地のブランドタグや最上級ブランドの取り組みも、「どこのカニか」を伝える工夫として広がっています。各地のブランドについてはカニのタグの色と意味で紹介しています。

よくある質問(FAQ)

Q1. 日本人はいつからズワイガニを食べていますか?

A. 越前町の資料では、ズワイガニが記録に確実に登場するのは安土桃山時代で、江戸時代の初めには漁村で食用とされていたと考えられるとしています。

Q2. 「ずわい」とはどういう意味ですか?

A. 越前町の資料では、細くまっすぐな若い枝を意味する「すわえ(楚)」が「ずわい」になった可能性が高いと紹介されています。細い脚を枝に見立てたという説です。

Q3. 越前ガニの皇室献上はいつからですか?

A. 越前町の資料では明治42年(1909年)が最初とみられ、大正11年(1922年)からは毎シーズン続いているとされています。

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